カレンダー
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31      
前月 前月 2018年12月 次月 次月
最新の投稿
カテゴリー
アーカイブ
リンク

お龍 独身時代 寓居跡
お龍 独身時代 寓居跡

2009年3月29日 建碑

此付近 坂本龍馬妻 お龍 独身時代 寓居跡
此付近 京都府知事 中井弘 幕末期寓居跡

京都市中京区木屋町通六角下ル 都会館 「龍馬」前

 坂本龍馬の妻となるお龍(鞆)は、青蓮院宮に仕える医師楢崎将作・貞の長女でした。京都柳馬場三条下ル東側に住んでいましたが、文久2年(1862)6月20日、不幸がおきます。父の死去です。このため母・妹・弟をふくむ6人の遺族は困窮し、「京都の木屋町」もしくは「四条、うら通りの借家」に移住します。
 こののち一家は離散し、お龍(鞆)は単身七条新地の扇岩なる店に入ります。母と妹君江は、洛東大仏南門前(現東山区本瓦町付近)の河原屋五兵衛(五郎兵衛)隠居所の土佐亡命志士の居所に住み込みで働きました。その縁で龍馬とお龍(鞆)は出会うことになります。木屋町の住居は、その直前まで住んでいた地として無視できません。
 というのも、龍馬の書翰に記載されたお龍(鞆)の個性を知るエピソードに、妹光枝が悪い輩にだまされて大坂の遊郭に連れて行かれたが、彼女が単身乗り込み、ついに連れ戻すというものがあります。それが木屋町時代のことです。正確な位置は不明ですが、龍馬が「まことにおもしろき女」と愛したお龍(鞆)のゆかりの地として、ここ木屋町通に建碑するものです。
 なお龍馬やその終焉地の主人近江屋新助とも交流のあった、滋賀県知事や京都府知事を歴任する中井弘も、中井弘蔵や田中幸助と名乗った幕末当時、木屋町の近江屋喜一郎の2階に寄宿していました。あわせて顕彰します。

歴史地理研究者 中村 武生




| 石碑建立活動::お龍 独身時代 寓居跡 | 08:58 PM | comments (x) | trackback (x) | お問合せ |
PAGE TOP ↑

メール